(15)

江ノ島《神奈川県》


なつかしい青春ドラマの舞台
デビュー間もないスター達が闊歩した
想い出の場所、なつかしいシーンと
出会え、今尚人気の高い湘南を訪ねてみよう。

親しみを込めて江ノ電と呼ばれる
江ノ島電鉄は、「鎌倉」から「藤沢」
までの10km、全15駅間を35分で
結びます。途中、「腰越」駅周辺で
は併用軌道(路面)区間となりスロ
ー運転でゆっくりと町並みが楽しめ
ます。
1日フリー切符も用意されている。
マリンスポーツで賑わう七里ヶ浜
からは江ノ島がよく見える。
石原裕次郎や加山雄三、中村正俊が闊歩した街。
サザンオールスターズ、やチューブが独特の明るいサウンドでデビューし、映画「波の数だけ抱きしめて...」や「稲村ジェーン」では、はつらつとした若者の生活を余すことなく演出した。
太陽を感じさせる…。そんなエリアが湘南である。

湘南の代表的なスポットとして江ノ島がある。藤沢から乗車すれば、10分ほどで「江ノ島」駅に到着する。江ノ島を訪れるには、駅前の商店街を抜け長〜い橋を渡る。
江ノ島は太陽が良く似合う。
もちろん洒落たコーヒーショップやヨットハーバーもあるが、八坂神社、大崎稲荷、江島神社中津宮、江島神社辺津宮、江島神社奥津宮と、小さい島にもかかわらず5つの神社が建立されている。

湘南とサーフィンは切っても切れない。サーフィンを「波乗り」と呼ぶ世代にも、いまだ人気のスポットだ。

社寺仏閣が多いのは江ノ島に限ったわけではない。長谷駅から徒歩で10分。鎌倉といえば阿弥陀仏の大仏で有名な高徳院がある。
「極楽寺」駅周辺は特に人気が高い。
「鎌倉」から乗車すれば、「長谷」駅を通過後、極楽洞トンネルをり、

両車窓は谷のように垂直した堤が迫った切り通しの中を線路は走る。お陰で「極楽寺」駅は夏でもさわやか。
「極楽寺」駅の裏にはこんもりと樹木が茂り、その奥に1259年(正元元年)に北条重時によって建立された「極楽寺」が佇んでいる。
フリー切符を片手に、社寺仏閣を散策する熟年層の姿も多く見受けられる。
そう、湘南は、決して若者のみのエリアではなく、古い歴史をもつ熟年も楽しめるエリアでもある。

江ノ島はヨット天国。
クルーザーもディンギーも
相模湾の風を帆いっぱいに
受けている。
しかし、やはり湘南と海は切り離せない。
七里ヶ浜では国際色豊かな
サーファー達が波を待つ

「稲村ヶ崎」駅から「七里ヶ浜」「鎌倉高校前」「腰越」駅までの4駅間、約2kmは国道134号線を隔てて海岸線が目前に迫ってくる。もちろんここはマリンスポーツのメッカだ。カラフルなボードセーリングのセールや白いヨットのセール、波待ちをするサーファー達で1年を通して賑わっている。
夏には海の家が立ち並び繁華街以上の人が押し寄せる。
春の1日。花見を楽しみながらそぞろ歩きをしてみてはいかがでしょう…。
2008-04 >>データ提供:「旅のとま〜る」


 (14)

熱海温泉《静岡県》


慰安旅行と言えば「熱海」だった
多くの文豪が居を構え、幾多の名作を
世に送り出した街「熱海」
新しきを尋ね古きを懐かしむ旅に出てみよう。


新幹線の熱海駅前には
無料の足湯場(家康の湯)も
設置され、出張の疲れを癒す
サラリーマンの姿も多い
海岸はサンビーチとして整備された
企業で「慰安旅行」という催しが姿を消して久しい。日本的な良き慣例であったと思うが、経済が発展し、企業が大きく成長するに連れ、個人主義が中心となり、いつしか時代に即応しなくなったのだろう。
当時、慰安旅行と言えば、まず候補に上がるのが「熱海」だった。

熱海と言えば、尾崎紅葉が執筆した「金色夜叉」。有名な下りが、熱海海岸で間貫一がお宮に対してはき捨てる名台詞「来年の今月今夜、再来年の今月今夜、10年後の
今月今夜、僕の涙できっとこの月を曇らしてみせる。」だろう。但し、この台詞がでてくるのは、そこそこの熟年層だけかもしれない。

海岸沿いの旅館群も、その姿を大きく変えた。近代的な高層のホテルが立ち並び、若い人たちが喜びそうな明るい雰囲気が満ち満ちている。海岸の松の樹も椰子やフェニックスに変わり、リゾート地としての「熱海」を前面に表現しているように思える。

隣接するハーバーに舫われた
ヨットが、心地よく揺らいでいた…

国道135号線沿いのお宮緑地
写真は熱海市ホームページより転載

昔の温泉町の趣を期待する年齢層には、少し残念な気もするが、これも時代の移り変わり。また何十年も経てば、今の若い人たちも同じように昔を懐かしむのだろう。
そう考えながら海岸を少し散策しながら、お宮の松まで歩いてみることにした。
「お宮の松」と「貫一お宮の像」は海岸の国道135号線沿いにある。
以前、熱海の海岸には、“羽衣の松”という見事な松の木があり、これが金色夜叉の人気に伴い「お宮の松」と呼ばれるようになった。
残念ながら初代の「お宮の松」は、排気ガスや他の要因で枯れてしまい、今は2代目となっている。
貫一お宮の像
写真は熱海市ホームページより転載

その傍らに
貫一お宮の像がある。
熱海温泉の起源は、今からおよそ1250年前の天平宝字(755〜765年)頃、箱根権現の万巻上人が、海中に湧く熱湯によって魚類が焼け死に、甚大な被害を被っていた漁民たちを助けようと志し、祈願によって泉脈を海中から山里へ移したことと伝承されている…と、熱海観光協会の公式HPに書かれている。
2008-03 >>データ提供:「旅のとま〜る」


 (13)
城崎温泉《兵庫県》


多くの文豪が訪れた名勝
志賀直哉や島崎藤村、与謝野寛・明子
など多くの文豪が歩き感じた旅情を
ゆっくりのんびり巡ってみよう。


大谿川沿いのしだれ柳の並木
城崎温泉の代表的な景観です。
外湯めぐり「まんだら湯」
城崎温泉は今から1400年程前、舒明天皇(629)の頃、一羽のコウノトリが足の傷を癒していたことから発見され鴻の湯と呼ばれ、城崎温泉の起源とされています。その後、道智上人が難病の人々を救う為に千日間曼陀羅を唱え湧き出た「まんだら湯」等、7つの外湯が楽しめます。

志賀直哉が小説『城崎にて』を執筆したのは大正2年の秋。東京で交通事故に遭い、その療養のため城崎に約3週間滞在したらしい。
カラン、コロン、各旅館の浴衣や丹前を纏った若い男女、中年・熟年のカップルが入浴セットを片手に下駄の音を響かせ行き交う光景は、今も昔も変わらない。時は変われど、志賀直哉が訪れた大正時代にも、同じような旅情が見られたことでしょう。結局、その後も直哉は生涯に城崎を十数回訪れているようです。

直哉も散策した大谿川沿いの道


城崎の魅力は、何と言っても
湯量の豊富さと外湯の楽しさ。
現在のように旅館に内湯が用意されたのは昭和30年頃。それまでは外湯だけで多くの観光客を楽しませてきました。現在外湯は駅前の「さとの湯」をはじめ「地蔵湯」「柳湯」「一の湯」「御所の湯」「まんだら湯」「鴻の湯」の趣向の違った7つの湯があります。源泉は温泉街の奥の薬師公園ポケットパーク内に。足湯も5ヶ所設けられています。また、宿泊客に限り、各宿泊施設では全外湯の無料券サービスも実施している。
源泉は自然石から湧き出ている
ロープウエイに乗り大師山山頂へ。円山川の緩やかな流れとその先に広がる日本海の見事な景観や温泉街の全景が眼下に広がります。
大師山山頂から温泉街を望む

城崎温泉はJR福知山線「城崎」駅で下車。駅前から温泉街が広がっています。駅の東側には、道路を隔てて円山川が静かに流れています。
円山川を遡ると、やがて豊里町の「コウノトリ公園」の表示が見えてきます。昔から、周辺にはコウノトリが沢山いたようですね…。
2008-02 >>データ提供:「旅のとま〜る」


 (12)
石垣島


南の島で、自由気ままな旅
リゾートホテルからウイークリーマンション
個性豊な民宿まで、八重山の各島には
様々な楽しみ方が用意されています。


八重山の代表的なヤエヤマヒルギ
《沖縄県石垣市竹富町》
終日観光客で賑わう
離島桟橋ターミナル
石垣島は沖縄本島から南西に約400km、飛行機で約1時間。東シナ海に浮かび八重山諸島への旅のスタート地点です。
2007年の2月に新しく生まれ変わった「離島桟橋」からは八重山観光フェリーや安栄観光、波照間海運等の連絡船が発着しており、竹富島や西表島をはじめとする離島へのアクセスポイントとして、また、旅の情報基地として終日賑わっています。
石垣島は何と言っても島の周り360度、見渡す限り透き通るエメラルドグリーン。珊瑚礁を白波が取りまくラグーンの楽園。
そんな中、訪れた観光客がまず
グラスボートも楽しめる川平湾

訪れるのが川平湾(かびらわん)。
まぶしいほどの白砂の浜辺に、幾つかの小島が浮かぶ幻想的な景色です。時刻によって海の色が変わる様に、しばし現実を忘れ見入ってしまうのも「旅の素適」かも…。
但し、川平湾は結構潮の流れが速いので遊泳は禁止です。
さらさらした砂浜を歩いての貝殻拾いもいいものです。



のんびりと時間が流れる竹富島へは、離島桟橋から船で約10分。
赤瓦の屋根のシーサーが出迎えてくれます。

竹富島に住む島人は、古き良き沖縄の伝統を大切にしています。そのため、赤瓦屋根以外の住宅は建築しないという約束事があるそうです。

都会とは違う時間の流れに身を任せ、牛車に乗り、三線の音色にあわせて島歌を歌うのも、八重山の旅の楽しみです。

ちなみに、石垣は珊瑚を単に積み上げただけのもので、セメント等での接着はされていません。理由は台風等での強風が通り抜け、風による崩壊を防ぐためだそうです。
2008-01 >>データ提供:「旅のとま〜る」


 (11)


「んみゃーち美ぎ島 宮古島」
これは宮古方言(みゃーくふつ)で
「いらっしゃい美しい宮古島」という意味です


みやこパラダイス(蝶々園)
《沖縄県宮古島市上野野原》
亜熱帯海洋性気候の宮古島では、言うまでも無く町のいたるところに南国特有の花や植物が見られます。
宮古島市の中心部から少し離れた郊外では、道路の両脇にはサトウキビ畑がどこまでも続くのどかな景観を楽しむことが出来ます。

トロピカルフルーツパークの中にあるみやこパラダイスには200種類以上の熱帯植物が生い茂るとともに、この地方でしか見ることが出来ない南国の美しい蝶が飛び交う蝶々園(有料)、ハーブ園などがあります。蝶々園に向かう熱帯植物園には色鮮やかなブーゲンビリアやハイビスカス、熱帯フル
ーツの樹や珍しい熱帯植物などがあり、心身ともに癒されます。
蝶々園には年間を通じて、南国特有の珍しい蝶が10種類、およそ1000頭が優雅に舞い踊ってています。その中でひと際目を惹くのが「オオゴマダラ蝶」です。日本最大級といわれるオオゴマダラはその羽ばたきも大きく、また人懐っこく服や鞄などにとまっていることもあります。

レストラン「みゃーくや」では、宮古そばなど郷土料理を食べることができます。売店ではトロピカルフルーツやジュースなどもありますが、雪塩アイス・ソフトはここでしか味わう事が出来ません。

スジグロカバマダラ
スジグロカバマダラ(筋黒樺斑)、英名:Orange Tiger(オレンジタイガー)
マダラチョウ科 40〜45mm
鮮やかなオレンジ色の羽に黒いスジが入った模様で、つまさきが黒く白い紋があります。東南アジアなどの広域に分布していて、日本では宮古島以南の南西諸島にしか生息しません。美しい姿ですが、これは有毒で鳥たちが間違っ
て食べないよう目だっているのだそうです。
オオゴマダラ(大胡麻斑蝶)、英名:Tree Nimph Butterfly、 マダラチョウ科 130〜150mm
オオゴマダラは、マダラチョウ科で日本にすむ蝶のなかでも一番大きな蝶で、沖縄諸島以南の南西諸島、台湾、東南アジアなどに生息します。ふわりふわり、緩やかに羽ばたく姿はエレガントです。

オオゴマダラ
2007-12 >>データ提供:「旅のとま〜る」


 (10)


「んみゃーち美ぎ島 宮古島」
これは宮古方言(みゃーくふつ)で
「いらっしゃい美しい宮古島」という意味です

博愛記念館(マルクスブルグ城)
博愛記念館(マルクスブルグ城)
《沖縄県宮古島市上野字宮国》
宮古諸島は沖縄本島から南西およそ300km、北緯24度〜25度、東経125度〜126度を結ぶ網目の中に位置し、宮古島を中心とする大小8つの有人島から構成されています。

うえのドイツ文化村は宮古島の南部の海岸線沿いに、リゾートホテルを中心としたドイツ風の建物、運河、レストラン、レジャー施設などが広い敷地に点在するリゾートエリアです。
南国特有の木々や花がトロピカルな雰囲気を醸し出し、同時にヨーロッパの街の雰囲気や文化を味わう事も出来ます。中世ドイツの古城マルクスブルグ城を再現した博愛記念館には
マルクスブルグ城の部屋を再現すると共にドイツ商船救助に関する資料や、美術品が展示されています。また8階の展望室からは東平安名崎や来間大橋などが眺望でき、素晴らしいパノラマを楽しむ事ができます。

宮古島上野村とドイツ・シュターデ市は姉妹都市で、同市より寄贈されたドイツ農家を復元した建物、レストランビアファスでは、自家ソーセージやドイツビールを食することができます。
そもそもの馴れ初めは、明治6年、7月12日、ドイツの商船R.J.ロベルトソン号(ヘルン
レストランビアファス ドイツ農家を復元した建物
レストランビアファス
ツハイム船長)が宮古島宮国沖で台風に遭い、座礁難破したのを宮国の住民が発見し、一晩中たいまつを灯し勇気づけ、激浪の海に舟を漕ぎ出して乗組員を救助した事に始まります。その後、1ヶ月余にわたる手厚い看護の後、無事に本国へ帰国させました。
ヘルンツハイム船長からの報告を受けたドイツ皇帝ウィルヘルム
1世は、軍艦を派遣し、乗組員を救助した島の住民を称えるため、宮古島に「博愛記念碑」を建立しました。
ドイツ文化村にはこの他、グリム童話に関する資料やドイツの珍しいおもちゃ、絵本、ベルリンの壁などを展示している「キンダーハウス」、「リフレッシュパーク」、水中観光船「シースカイ博愛」などがあります。
ホテル博愛パレス館
ホテル博愛パレス館
2007-12 >>データ提供:「旅のとま〜る」


 (9)
若き日の徳川家康は、
ここ浜松城を拠点とし多くの
戦を経て天下を取りました。




《浜松市中区元城町》
浜松城は、三方原台地の東南端に位置しており、元亀元年(1570年)徳川家康によって築城されました。

家康は29歳から天正14年(1586)45歳で駿府城(静岡市)に入るまでの17年間を浜松城で過ごしました。
この間、幾つもの戦いがありましたが、中でも三方ヶ原の合戦は関ヶ原合戦以上に大変な戦いであったと言われています。

浜松在城の17年間は、家康にとって徳川家300年の歴史を築くための試練の期間でもあったようです。

家康が浜松城を出た後は、代々の諸大名に城を守らせ、浜松藩政、およそ260年間に25代の城主(再任も含めて)が在城しました。
在城中に、老中に5人、大坂城代に2人、京都所司代に2人、寺社奉行に4人(兼任を含む)が登用されました。
なかでも、城主水野越前守忠邦は、天保の改革でよく知られています。これらのことから浜松城が出世城と言われるようになったようです。
浜松城の石垣は「野面積み」といわれる方法で、自然石を上下に組み合わせて積まれています。
一見、荒々しく粗雑で崩れやすいように見えますが、長い間風雪に耐え続け、今もなお当時の面影を見せています。石の大きい面を内側に長く押し込み、その内側に小さな石を詰め、さらに砂利を入れてあるので水はけも良く崩れにくいのです。
現在の天守閣は、旧天守閣跡(現浜松城公園)に昭和33年に市民の浄財によって新天守閣として再建されました。
また、昭和34年6月18日、浜松城跡は市の史跡に指定されました。

浜松城公園内 「日本庭園」

●当地には「浜名湖エデンの園」があります。
2007-11 >>データ提供:「旅のとま〜る」


 (8)




《神戸市垂水区東舞子町》
舞子公園は長くのびた青松の松林、白い砂浜がとても美しい景勝地で、古(いにしえ)の頃より詩歌などに詠まれ、旅人たちにこよなく愛され続けています。
特に明治天皇はことのほかお気に召され、何度もこの地を訪れたといわれています。

明治天皇が行幸された際に詠まれた「播磨潟 舞子の浜に 旅寝して 見し夜恋しき 月の影哉」などの御製三首が刻まれた歌碑が昭和11年に建立されました。
兵庫県は明治33年(1900)、この天下の景勝の地を初の県立都市公園として開園しました。

明石海峡大橋のメインケーブルを支える役割を果たすアンカレイジ。
その建物内部に設けられたエレベーターに乗ると、海面からの高さ約47m、陸地から約150m、明石海峡へ突出した延長約317mの回遊式遊歩道である体験展望施設「海上プロムナード」へと続いています。

8階展望ラウンジには展望カメラシステムがあり、明石海峡大橋の主塔とほぼ同じ高さに登った気分が味わえます。
橋長3,911m、ケーブルを支える2つの主塔間の長さ1,991mという規模の明石海峡大橋は世界一のつり橋で、別名「パールブリッジ」とも言われ親しまれています。
海面上約300mという主塔の高さは、東京タワー(333m)とほぼ肩を並べる高さです。間近で見るとそのスケールの大きさを改めて実感することでしょう。

ケーブルには曜日やその他条件により色が変わるイルミネーションが施され、美しい夜景と融合し魅力的な観光スポットとなっています。
神戸の貿易商・呉錦堂が別荘として建てた八角堂がシンボルの「移情閣」がより一層異国情緒を醸し出しています。

●当地には「チャーミング・スクウェア舞子」があります。
2007-11 >>データ提供:「旅のとま〜る」


 (7)
世界遺産に申請中




《大阪府堺市 仁徳陵古墳》
今から1600年程の昔、西暦の400年代から600年にかけての古代日本では、土と石を使って、大王や王(豪族)の墓を造りました。この墓は古墳と呼ばれ、全国に20万基以上あるといわれています。

堺市の中心部からやや東南に位置する百舌鳥古墳群は、日本を代表する古墳群で、現在、半壊状態の物も含め、前方後円墳23基、円墳19基、方墳5基の47基があります。本来の古墳数は100基を越す古墳がありましたので、半分以上がなくなったことになります。
主な古墳には、大仙公園の北側に、日本最大の前方後円墳である仁徳陵古墳、南側には履中陵古墳があります。またJR阪和線の線路東側に、いたすけ古墳、御廟山古墳、ニサンザイ古墳、仁徳陵古墳の北側に反正陵古墳があります。

「百舌鳥古墳群」を訪ねるには、大阪市内の「天王寺駅」から「JR阪和線」に乗り「百舌鳥駅」で下車。進行方向の右手(西)へ徒歩約5分で「仁徳陵古墳(大山古墳)」の拝所前に辿り着きます。
お薦めコースとしては、*仁徳陵周遊路を中心に散策する半日コース、*仁徳陵と履中陵をめぐる健脚半日コース。
*百舌鳥三陵をめぐる1日コース、*百舌鳥古墳群をめぐる健脚1日コースなど楽しみ方も色々です。
「百舌鳥古墳群」は歩いても散策できますが、効率よく回るには自転車を利用すると行動範囲が広がります。
大仙公園観光案内所(仁徳陵古墳拝所のやや東)にてレンタサイクルの貸し出しを行っています。(TEL072-245-6207)営業時間/10:00〜16:30 休館日/月曜(祝日の場合は翌日)

●当地(堺市)には「フロイデンハイム」があります。

百舌鳥古墳群の詳細はこちら
2007-10 >>データ提供:「旅のとま〜る」


 (6)




《島根県出雲市大社町》
出雲は「出雲風土記」に代表される国譲り民話のふる里です。その中心である「出雲大社」は、大木に囲まれた厳かな雰囲気の中に佇み、縁結びの神様として全国に知られています。

各地から出雲に出かけ、神様が居なくなる10月は全国的に「神無月(かんなづき)」と呼ばれていますが、出雲では逆に「神在月(かみありづき)」と呼ばれているのは有名な話ですが、ベテラン、にわかを問わず、古代史愛好家にとっても魅了的なエリアとなっています。
日本神話によれば、大国主大神が天津神に国譲りを行う際、その代償として、天孫が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしいと求め、造営されたのが出雲大社の始まりと言われています。
現在、出雲大社に祭られているのは大国主大神ですが、参道入口に建つ銅鳥居には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と刻まれており、当初は素戔嗚尊(すさのおうのみこと)が祭神だったとも、大国主大神=素戔嗚尊説も囁かれているようです。 他の見どころとして、銅剣358本が出土した古代遺跡の「荒神谷遺跡」や、山陰の耶馬渓と称され四季折々の風情が楽しめる「立久恵峡」、試飲もできレストランも併設された、島根ぶどうのワイナリー「島根ワイナリー」等、多くの観光施設もある魅力的な地域です。
また、先日新たに「世界遺産」に登録された「石見銀山」にも近く、週末にかかわらず平日でも数多くの観光客が訪れる人気のスポットとして脚光を浴びています。
ガイドブックを片手に、のんびり散策するのも良いものですよ...。
2007-10 >>データ提供:「旅のとま〜る」


 (5)
歴史ある古き商家と水郷の町

八幡堀めぐり 船着場

《滋賀県近江八幡市大杉町》
牟礼八幡宮境内地」は「八幡伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、時代劇のロケにも数多く利用されています。

豊臣秀次が、当時の交通の主流であった琵琶湖を往来する荷船をすべて八幡に寄港させるために設けられた運河が八幡堀です。
かつて帆を立てた商船が往来し、商人らの熱気に満ちあふれていました。

そんな八幡堀も一時期は荒れ果て埋め立ての計画が持ち上がりました。しかし、青年会議所を始めとする地元有志の活動に助けられ、なんとか今日の姿を取り戻すまでに至りました。
今は町の代表的な観光名所として位置づけられ、桜や花菖蒲などが植えられ、四季折々の風景を楽しむことは勿論、白壁の土蔵が建ち並ぶ八幡堀の心安らぐ情緒あふれる風景も楽しむことができます。
コース 「乗船場(かわらミュージアム)→赤煉瓦工場跡」の往復 (所要時間 約35分)
料金 大人1,000円(小人500円)
小学生以下無料
問合わせ・申込み
TEL(0748)-33-5020
もしくは携帯 090-6977-0045
滋賀県中部、琵琶湖東岸に位置する近江八幡は、その昔豊臣秀次が八幡山の麓に城下町を築いたのが始まりです。

その後、中世、近世は商業都市として栄えた所謂「近江商人」発祥の地として知られています。今も江戸時代以前の風情が残る「新町通り」・「永原町通り」・「八幡堀周辺」・「日
2007-09


 (4)
世界遺産を訪ねる旅…


《沖縄県那覇市/首里城正殿》
2000年12月。今帰仁城跡(なきじんじょうあと)、座喜味城跡(ざきみじょうあと) 、勝連城跡(かつれんじょうあと)、中城城跡(なかぐすくじょうあと)、首里城跡(しゅりじょうあと)、 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)、玉陵(たまうどぅん)、識名園(しきなえん)、斎場御嶽(せいふぁうたき)の9遺跡が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。
首里城跡は1992年、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元され、那覇空港からも近くにあるため、
最も人気の高い観光スポットとして脚光を浴びています。

その入口に立つ「守礼門=しゅれいもん=(上の綾門)」は2000円札にも描かれ、多くに人が知る建物ですが、元々は、現存しない綾門大道の西側の「中山門」(下の綾門)」と対になっていた。よく「しゅれいのもん」という呼称や標記も見られるが、これは正しくないとのことです。

夏の終わりを告げるように、素肌に心地よい風が吹き始める9月。夏のシーズンには、あれほど賑わいでいた旅行者の数も落ち着きを見せ、沖縄は、本来の静けさを取り戻しはじめます。
ゆっくりと旅情を感じたい旅行者には、またとない時間の到来です。
2007-09


 (3)


《滋賀県米原市醒井/醒ヶ井宿》
醒ヶ井と言えば、何と言っても中心部を流れる地蔵川の清く澄んだ水の中で群生し揺らぐ梅花藻が有名で、心地よい清流の音と共に訪れる旅人の心を癒してくれます。

梅花藻はキンポウゲ科の水生多年草で、最高水温20度以下の清流でしか育ちません。
7月初旬から8月にかけて水中や水面に8mmから1cmぐらいの白い可憐な花を咲かせます。


夏の終わりの地蔵川では、川沿いに植えられたサルスベリのピンクの花も楽しめます。
尚、地蔵川界隈には自家用車は入れません。JR駅前の駐車場(無料)をご利用の上、徒歩でご散策ください。駅前から梅花藻のエリアまで、徒歩で5分ぐらいです。
JR東海道線「米原駅」よりひとつ東、岐阜寄りに位置する「醒井(さめがい)=JR駅名は[醒ヶ井]」は、江戸時代、江戸と京都を結ぶ大切な街道であった中山道の宿場町として栄え、今も、歴史豊かでしっとりと落ち着いた街です。
広重の東海道五十三次の浮世絵にも描かれています。
2007-08


 (2)

愛媛県松山市
の街でもあります。

平成19年3月、(財)古都保存財団の「美しい日本の歴史的風土100選」実行委員会が主催、次世代に継承すべき美しい日本の歴史的風土が良好に保存されている地域を選ぶ『美しい日本の歴史的風土100選』に選定されました。情緒ある佇まいが残っていることが評価の対象となりました。
一羽の鷺(さぎ)が、脛(すね)に傷を負い苦しみ、岩間から噴出する温泉を見つけ足を浸したところ、傷が癒え元気に羽ばたいたと言い伝えられています。
それを見た人々が不思議に思い入浴してみたところ、疲労回復し、病人もいつのまにか全快したのだと言い伝えられています。これが道後温泉の始まりと言われています。
明治から昭和の半ばにかけてガタゴト、ガタゴト走った、人気者の坊ちゃん列車が蘇えりました。
また、伊予鉄道「道後温泉駅」前広場にある大きなからくり時計が観光客の目を楽しませています。


●当地には「松山エデンの園」があります。
松山市は四国最大の人口を有する都市で、道後温泉を代表とする「国際観光温泉文化都市」。松山城を中心に発展してきた旧城下町でもあり、また夏目漱石の小説『坊っちゃん』、司馬遼太郎の『坂の上の雲』や正岡子規の俳句で知られる文学
2007-07


 (1)

岐阜県郡上八幡
が聞こえてくれば、日本の3大祭り「郡上踊り」の始まりです。
本年は7月14日(日)から9月8日(土)の踊り収めまで約2ヶ月近くに渡り旧庁舎記念館前や市内各所で催されます。お盆の8月13日(月)から16日(木)の4日間はハイライトで『徹夜踊り』と称し、午後8時から翌朝4時、5時まで踊りつづけられ見頃となります。
しかし、この華やかさの裏には、連歌師宗祇、郡上一揆、凌霜隊事件など有名な悲しい歴史が横たわっています。
街中には、日本一の名水とうたわれた宗祇水をはじめ、町のすみずみまで湧水が潤っています。また吉田川の鮎は、清らかなな水に育てられ日本一の美味と賞賛されています。
●郡上八幡市のデータ●
岐阜県のほぼ中央部。
・東経 136度58分01秒
・北緯  35度44分44秒

人口:48,339名
男性:23,524名
女性:24,815名
世帯数:14,893世帯
郡上市役所のホームページ
郡上八幡は川床がくっきり見えるほど清らかな水と共存し、いにしえの歴史と営みを育んできた街です。『夏』蝉の声が聞こえ出す頃、街中の至る所からリズミカルな音楽
2007-07


>>データ提供:「旅のとま〜る」